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地震後のストレス度

3月11日は、ここ埼玉春日部市は震度5強でした。

地震の後はしばらくの間食欲が全くなくなってしまいました。
食べたいという気持ちがわかず、朝と昼はほとんど飲み物と少々の果物を口にするのが精いっぱい。
夜は夫と一緒に夕食を共にすれば、多少はのどを通りましたが、通常の3分の1程度でもう十分でした。

ところが!!
4月に入ってからは今度は逆に食欲が旺盛になり、特に甘いものが欲しくて欲しくて・・・・。
チョコレートなんかは毎日のように食べていたかも。

聞けば私の周りにも「地震後にたくさんたべるようになった」とか「地震後は甘いものばかり食べたくて困る」という人がたくさんいました。

おそらく地震のストレスが原因だと思います。
少なくとも私は。

私のパターンでいうと、とても強いストレスを感じたときは食欲が落ちます。
おそらく、あまりにも強いストレスで内臓が特に消化器系の機能が低下するため、必然的に食べる行為をストップさせるのだと思います。
そして、それよりも弱いストレスを感じているときは、反対に食欲が増します。食べることでストレスを発散させてようとするんですね。

だからなのか、食欲が落ちる期間は短いんです。
強いストレスを受け続けずっと食べないでいたら、それは死に向かうことですから。
身体もきっとそれではいけないと、少しずつそうしたストレスを解放させたり順応させたりしていくのだと思います。

特別に何をするわけでもなく、食欲は次第に増えていき、仕舞いには「食べ邸内と落ち着かない」という状態が続いてしまいました。
弱いストレスの場合は、命には支障がないと身体も判断するのか、食でストレスを発散させる期間はどこかで自分でセーブしていかないとずっと続くはめになってしまいます。

ということで、今日は午前中は飲み物のみにして、昼食はいつもの半分にしました。

いきなり断食だの絶食だのにすると、まだ弱いストレスは続いているので(余震もあるし、スーちゃんが亡くなったショックなどもあるし)リバウンドする可能性は120%だとわかっていますから、無理せず減食です。

もうすぐ月経という周期ですが、胃腸も疲れていたのかすんなり減食できました。

ゴールデンウィークに入ると、どうしても外食も多くなりますし、食生活のリズムも乱れるので、
少食を頭に叩き込んで気を付けていきたいと思います。




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瞑想に頼らずとも

「瞑想ができないんだよね~」
と友人がつぶやきました。

「私もよ」

以前私は瞑想をよくしていました。
雑念が浮かんでは消え、浮かんでは消えの状態でちっと無になれず、これが瞑想を言えるのかと思いつつも、がんばって2時間以上眼を瞑っていたこともありました。
瞑想と禅を混同していたこともありました。

何にしても、瞑想をすると心のスイッチが切れ、自我から離れ、本当の自分に出会え、ピュアなエネルギーが湧き出てくるのを感じられるのだと思っていました。いえ、思いこんでいました。

でも、本当のところは瞑想をしてもちっとも変っていなかったのです。
眼を開ければやっぱり嫌なことがいつまでも頭の中をぐるぐると周り巡り、心のもやもやはその時はなくなったと思っていてもいつの間にかまた元の位置でもやもやしている。

やり方がまずかったのかもしれません。
ちゃんと瞑想できていなかったのかもしれません。

今は瞑想をすることはありません。
する必要がなくなりました。

瞑想をしなくても、十分に心が解放され、そして頭の中も開放され、新たなエネルギーが満ちてくるのを感じたり、優しい思いがあふれ出てくる方法を見出したからです。

仕事を休業し、家しごとを自分の仕事として毎日を送るようになってから、日々の生活の中で、手を足を頭を惜しみなく使い、生きていることに感謝し、懸命に生きるだけでそれがすでに心の洗濯になっていることが分かったからです。


瞑想をする時間があるのなら、
・家の中の片づけに勤しむ。
・食材を余すことなくどうしたらこの命(食材)を美味しい料理として生かすことができるかを考え、そして心をこめて作る。
・一緒に暮らしている猫たちや、ベランダの草花に愛情をたっぷりと注ぎ世話をする。
・夫が帰って来た時に心地よい空間になるようにします。
・好きなジャンルの本だけでなく、まだ手に取ったことのないジャンルの本を読んでみる。
・友人に手紙やはがきを書く。
・手作りできるものをもっと増やす。
・etc.etc.etc.......
と、手足身体を動かし、ない頭をひねってみたりとしっかりと目を開けて、見えないものも見つめ感じたいと思うのです。

瞑想が悪いとは言いません。
もちろん瞑想をすることによって、心がクリアになる人もいるでしょう。
きっと瞑想が合っているのでしょう。

ある雑誌でも瞑想のことが載っていましたが、読んでやってみて、私はやっぱり駄目だな~と改めて実感しました。瞑想をしなくてはいけないというのはもちろんなく、瞑想できないからだめというのもなく、瞑想すればだれでも心が解放(開放)されるというのも当然ないわけです。

瞑想はしませんけど、座禅は時々やることはあります。
(瞑想は目を閉じるけど、座禅は半眼といって完全に閉じません。)

禅といっても自己の目覚めとかそういう大それたことではなく、私の場合は深い呼吸をし、身体の調和をとるために行います。
深い呼吸は、身体を動かすのと同じくらい、身体の機能を活発にして頭の中をクリアにしてくれます。
そうすると自然と心もすっきりとしてくるのです。

悩みや不安は生きている限りつきないものです。
なくすことを考えるのではなく、軽減しながらもそれを跳ね返したり受け止めたりする力をつけていく方が良いんじゃないかな~と思うのです。

心が疲れた時、私は瞑想をするよりも身体を動かした方がすっきりします(運動に限りません)。
これは絶対にそう!!もちろん過度な運動はNGですけど。
すっきりするし、何か改善や解決やあるいは新しい道が見えてきたりするのです。
そしてその「道」を今度は実際に歩いてみる。

自己の内面って、あらゆるところで見つけたり見直したりできるものです。

本当の自分は、やっぱり心とつながっている身体全部と一緒に見つけるほうが本当のような気がします。


○○という特別なことをしなくとも、生活そのものを大事に日々を過ごすだけで、本当はそれで十分なんだとも思います。そしてそれが実は一番難しかったりするものだから、あえて○○をしようになるのかもしれません。





pua honey猫と雑記のブログ《Allhealの森》

バリア瞑想

「心のバリア」を張ることは、いけないことだと思っていました。

だって、よく目にするじゃないですか。
「心のバリアをなくしましょう」とか「心はいつもバリアフリーにしましょう」とか。

人に対して、心を閉ざしてはいけないということはよくわかるけど、苦手な人やどうしても合わない人に対して、いつも心をオープンにして、相手を受け入れるということはとても難しいです。

でも自分から心を開かなくては、相手も開いてくれない。
そう思ってトライはしました。何度も。がんばって、がんばって。

だけどどーーーしてもだめなんですよね。
そういう相手とは、どこか歯車がいつもかみ合わないし、同調してもやっぱり何かが違う感覚は否めない。
ここで終わればいいのだけど、何故かほとんど場合、不快な感情へと発展してしまう・・・・。

そしてそういう自分がまた嫌なんです。
どうして私はちゃんと自分の気持ちを上手に伝えられないのか。
不快な感情を右から左に流すことができないのか。
と、自分のふがいなさが嫌になってしまうのです。

もっと若い時の方が、嫌な上司や先輩に対して上手に受け流したり、うまくあしらえていたような気がします。
結婚してからだめなんですよね~。

でもちょっといいこと聞きました。

嫌な人を想像して自分の前に登場させたら、すかさず自分の周りにバリアを張るのです。

今までバリアをはずしましょうといわれていたけど、あえて「バリアを張る」のです。
そして、自分が心地よくなったり落ち着ける場所を想像します。

お花畑でも、お気に入りのティールームでも、自分の家のリビングでゆーったりとくつろいでいるところを想像します。
私はなんといってもやっぱり海!
青い空に白い雲。サンサンと輝くように照る太陽。
白い砂浜にパラソルを立てて、波の音を聞きながらウトウトしている。
そして私の横には、忘れてはいけない我が家の癒し猫たち。
そんな情景を思い浮かべます。

自分なりの瞑想に入るのです。

バリアがあるから苦手な相手は絶対に入ってこれない。
相手を感じるけど、でも安心感は大ですね。

さっそくやってみた時は、バリアを張っていても相手の存在を想像しただけで、パニックになりそうになりました。
もっとも苦手は相手に対しては、今私はどうしようもないほど恐れを感じているからです。

だから呪文のように唱えましたよ。
「バリアがあるから大丈夫。ものすごく分厚いバリアを張ったから大丈夫」。
そう言い聞かせながらなんとか瞑想を続行しました。

声を聞くのもつらい時があるので、「声が聞こえないように防音にしてあるから大丈夫」。

姿ももちろん想像上ですが見えることを想定していますので、「ブラインドもあるバリアだから平気」。
なんて、どんどんすごいバリアになってしまいました^^;

第一回目のバリア瞑想は、こんなんでいいのかな~?という感じでしたが、2回目はバリアを信じるというか、1回目よりも少し安心感を持つことができました。

何度も行うことで、そのうちはっきりと思い描いていたバリアの向こうにいる相手の存在が、少しずつ薄れてくるそうです。
どんなふうに薄れていくのかは、きっと人それぞれなんでしょう。
そのうち、受け入れるとか仲良くなるということはないにしても、気にならない存在になるというので、そうなるだけでもきっと心の重荷は軽くなるでしょうね。

いつの日か、そうなることを願って、明日3回目にトライします。

でもまだ少し、相手の存在を登場させるとき、心臓がバクバクして消し去りたい!と思ってしまうんですよね。

だいぶ時間がかかりそうだけど、瞑想(と言えるかどうかは???)に入ると、とても気持ちが落ち着くので、急がずにゆっくりと変わっていけたらいいなと思っています。




pua honey猫と雑記のブログ《Allhealの森》




言葉はなくていい時もある

今年もあと半月余り。 
とことんお休みした年だったけど、その分感じたり見えたものもあった。

調子が悪いと、色々な人からこうすればああすればとアドバイスもたくさんもらったりしたけど、一番心和んだのがこの文章を読んだ時だった。



末期患者には、激励は酷で、善意は悲しい、説法も言葉もいらない。
きれいな青空のような瞳をした、すきとおった風のような人が、側にいるだけでいい



映画「おくりびと」で一躍話題となった、青木新門さんの『納棺夫日記』の中の一節。

私は末期がんではないけど、今年一年はまさにこういうことを望んでいたような気がする。

説法も言葉もいらない。

身体そのものが不調であるときは、心も同時に不調であることが多いのだけど、そんな時力がわく言葉で元気になるかと思いきや、いわゆる「感動する言葉」にはおなかいっぱい状態で、どんなに良い言葉でも心の中に入ってこなかった。
むしろ「キレイごと」だわとさえ思ったりして。

こんな風に思うことさえ、「ひねくれている。だから心が病んでいる」となり、そこでまた傷ついたりした。

すきとおった人がそばにいてくれれば、本当に言葉なんかいらない。切実に思った。

人はそばにいなかったけど、言葉を持たない猫たちがその代わりをしてくれたように思う。

きれいな青空のような瞳をした、すきとおった風のような人に出会いたいし、自分もまたそうなりたいな。

言葉は必要だけど、時には心の通い合いだけで過ごす日も大切にしたい。




pua honeyプライベートブログ《Allhealの森》



“幸せ”と感じる“元気”を養う

ここ数か月、自分の身体の調子を整えつつ、家のことをしながら、実家のことなど交えながら暮らしてきた。

日々の生活の中で学ぶことは多くあり、この世を生きていく一人の人間として、そしてセラピストとしても(時期がきたら復帰します!)心身と暮らしの在り方を考えなおす良い機会に恵まれたと思っている。

本などからの知識に加え、自分自身の実体験と病を持つ身近な人達の経験話を通して、生きていく上で大事なのは、日々の暮らしの中で「幸せ元気」を自分で、探したり作りだしたり感じることなのだと改めてそう思う。

「幸せ」で「元気」なんてそんなものない!今辛くて仕方ないんだ!という人もいるかもしれない。

でも生きていく上で、辛い・悲しい・大変なことがあるのは当たりまえ。 あるがままで生きるというのはそういうことも全部ひっくるめて、いかに自分の中で対処したり、プラスに転換したり、乗り越えたり、回避したり、開放(解放)したり、向きあったりしていくかなんだと思う。(人によっては他にも色々あるでしょうね)

どうしたら幸せと思えるのか。
何をしたら幸せを感じることができるのか。

それは自分次第。なのかも。

人から与えられる幸せも、天から与えられる幸せも、受け取る側が幸せって思わなくてはそれは幸せじゃない。 
「幸せの種」をもらっていても、それを育てられなかったら、育てることをしなかったら、きっとその人はその幸せには出会えない。育てていく(育てられる)時期ではなかったのかもしれない。

「あなたにぴったりの試練だよ」と与えられても、「そんなものは試練じゃない!ただの不幸の元」と思ってしまえば、その先にある道には辿りつけない。

そんな矢先、「これが気づき」「こうすればあなたは幸せに」という楽して手に入れられるものにほいほい飛びついて、偽の天使に導かれて闇の世界に連れ込まれてしまう。

今の世の中、スピリチュアルの言葉は真に響きがよくできているので、そういうものに出会ったら両眼をよーーく見開いて、耳をすませ、直観力を働かせ、五感や第六感を研ぎ澄ませていかなくてはいけない。
キラキラと光り輝き魅力満載なのが手口なのに、どうも人間はそういうものに弱いらしい。へたにオーラなんて見えなくてもいい。 見えたところでそれがどうだというのだ。 偽物のオーラを見せられて喜んでいる場合ではない。

それよりも、日々の生活をまずしっかりと生きていくことの方が大事なような気がする。
スピリチュアルな感覚も、魂の成長も、すべてこの地に足をつけていくことができてこそ、ついてくるものなんだと。

幸せ元気の「種」は以外にも地味で小さくて目立たないかもしれない。 
だけど「ええーー。こんなこと普通じゃん」と思うことが以外にも幸せに結びつく。

そうかといって苦しいだけではやってられない! 

だからこそ、「幸せ~」と感じる「元気」を養うために、暮らしの中で自分なりの心身のケアを、見つけ出し、そして実際に行動に移していくのである。

情報だけ仕入れてもNG! 
「○○がいいんだってーーー」とくればそればっかりに頼るのもNG!
一番よくないのは頭でっかちになるだけで、実行しないで知識だけため込むこと。 


心と身体が本当に求めているものに答えていく。
(本能が・・・といいながらテレビみながらお菓子ボリボリは改めましょう☆)

きちんとケアすれば、ちゃんと心も体もそれに答えてくれる。

あるがままを受け入れ、地に足つけて、心身を愛しむ生活を送る中に、「幸せ」と感じる瞬間は必ずや訪れる。

心地よい感覚を大事にしながら、我慢が必要な時には堪えることを避けずに、この肉体から旅立つその日まで養生していきたい。 いや、養生していくこともこの世の誕生の課題なのだろう。

新しく「心身&暮らしのケア」というカテゴリを作ったので、関連した話を綴っていこうと思っている。

私の筋腫沈静ケアとか、夫のアトピーケアとかも。




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アロマとびわの葉のpuahoney_style ケアルーム(申し訳ありません只今休業中です)

平日週2~3日のみの自宅の1室を利用した小さなケアルームです
ゆったりほっこりしていただける空間を提供いたします
ティータイムを過ごす感覚でいらしてください♪(女性限定です☆)

アロマの香りと力で・・・・ゆったり 
びわの葉温熱療法の体験で・・・・ほっこり
ヒバの桶で足湯なんかも・・・・まったり
足浴の画像→★★


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プロフィール

pua honey

Author:pua honey
英国IFA認定アロマセラピスト
ARTQ認定妊産婦ケアマスター
びわの葉温熱療法指導員

乳がん&甲状腺がんのダブルキャンサーサバイバーで、超デカ筋腫持ちです。

このブログでは心と身体と暮らしについてのケア方法や体験を綴っていきます

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